先日、初めてお目にかかる方との待合せ時間を
勘違いし、30分も遅刻してしまいました。
それを知ったのは電車の中でした。
先方の方から電話がかかってきたのです。
「道に迷われているのではありませんか?」
「え!? 今、電車に乗っています。
わたし、約束の時間を間違えていますね?」
かつてのわたしだったら、電話を切ると同時に
とことん自分を責めていたでしょう。
「なんで間違えて手帳に書いているの?」
「そもそも、なんで間違えたの?」
「とんでもない迷惑をかけてしまった」
自分を罰しながら
ダメな自分にとことん浸って。
お待ちいただいている方への申し訳なさから、
約束の場所に到着しても、その場の空気を
ズドーンと重くしていたかもしれません。
だって、迷惑をかけているのに
楽しんでしまってはいけない。
だって、わたしがいけないんだから。
こんなふうに
自分を責めていたかもしれません。
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でも、今回のわたしは違いました。
「どうして間違えちゃったんだろう」
電車に揺られながら、少し落ち込み、
それから自分の行動を分析しはじめました。
・手帳への転記ミスは老眼かもしれない。
転記後の確認も確実ではなかった。
↓
転記元、転記先の両方を照合しよう。
目を酷使しているから休息をとろう。
・1週間前に先方に日程を確認していたのに
時間の確認をしていなかった。
↓
日時と場所をセットで確認しよう。
それから、出来事全体を振り返りました。
何かしらの意味があって、
この出来事を起こしたのだとしたら、
何のために遅刻することをしたのか。
すると、すぐに思い当たりました。
家で食事をする際に家族と時間が合わず、
自分だけ23時を過ぎたことがあったのです。
家族と思うような意思疎通が図れず、
ちょっとイラっとしてしまいました。
今回の出来事はお試しなのかもしれない。
「時間に対してどれだけ寛容でいられるか」
寛容であること。
それは常に大切なテーマとなっています。
深呼吸をしながら、約束の場所へ向かい、
だんだんと気持ちも落ち着いていきました。
30分以上も遅刻してしまったわたしを
あたたかく迎えてくださった皆さん。
感謝の気持ちで胸いっぱいになりながら、
楽しい時間を過ごさせていただきました。
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失敗したからこそ気づけることがあります。
失敗したときに、
どのように振る舞う自分がいるのか。
まわりに対して。
何よりも、自分自身に対して。
自分に対して厳しいのか、優しいのか。
自分をただ責めるのか、
反省して糧にするのか。
自分に対して寛容かどうか、
まわりに対して寛容かどうか。
そう考えると、
失敗も貴重な経験のひとつとなりますね。
今日もどうぞ寛容にお過ごしくださいませ。