昨日は父の誕生日でした。
ふだん思っていたことを伝えてみました。
子どもの頃にレオナルド・ダ・ヴィンチの絵本で見た人体解剖図が意味すること。その探究心と功績のすごさ。
家の中にゴッホの絵があったり、ダヴィンチの絵本があったから絵を身近に感じられるんだね、と三姉妹で話していたこと。
すると、今まで聞いたことのない返事が返ってきました。
「小さかった頃、上野の日展に連れていってたんだよ。覚えているか?」と。
お母さんは行かないと言うし、一人で行くのも何なのでわたしを連れていったらしい。
日展の記憶はまったくないけれど、モナリザを一緒に観にいったことは覚えている。
銀座の伊東屋に就職しようと思いかけたことがある。父が連れていってくれた伊東屋の記憶があったからだ。白くて大きな通路、白雪姫の絵のついた絵の具。
こんなふうに話ができるようになったのはつい最近で、ずいぶん長いこと、わたしは父に反抗していました。
今思えば、自分の価値観を認めてほしいと思いながらも、わたしは父の価値観を認めていなくて、抵抗が抵抗を生んでいただけでした。
そんな長女を見守る妹たちはお手上げ状態だったでしょうし、母は和解を促すために一足先に他界してくれたのだと思います。
テレビが面白かった時代、日曜8時といえばバラエティだったのに、家はいつもNHKの「日曜美術館」で、なぜ父の見たい番組を見なければならないのか、と腹立たしく思っていたものでした。
でも、今、ふとした拍子に日曜美術館のBGMが頭をよぎったりして、そんな瞬間が心地良かったりもします。
そして、わたしは美術館が大好きで、特別に絵の知識があるわけではないけれど、美術館に行くと落ち着くのです。
そういえば、写真の構図にこだわるのも父譲りかもしれない。
どこに行っても写真を撮ることが最優先で、ここに立てだの、こっちを向けだの。だからたいてい、わたしはムスッとした顔をして写っている。
しまいには8ミリで撮影し出すので、止まれだの、歩けだの。本当にいやだった。
でも、ごはんを食べた後に部屋を暗くして撮影した8ミリをみんなで観るのは楽しかったなぁ。
お米を研ぎながら、そんなことを思い出していたら涙が溢れ出した。
今度、はじめて上映会をする。上映をするのはわたしだけど、みんなで観るから鑑賞会という名前にした。
そうか、そうだったのか。
わたしがみんなで映画を観たいという想いはここからきていたのか。
家族みんなで8ミリを観ていたのも日曜8時だったのかもしれない。
ほんとに多くのものを親から受け継いでいる。
そして、それを受け継ぐために、それをわたしがしたいがために、父を選んだのだろう。母を選んだのだろう。
わたしはそれを誰に渡すのだろうか。
子どものいないわたしは、大人にも子どもにも、多くの人にそれを伝えていくのだろう。
だから、子どものいない人生を自分で選んできたのかもしれない。