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生きる目的なんかなくたっていい。

いきなりすみません。
何のことかと思いますよね。

目的なんか、なんて言い方をして、
「目的」そのものにも失礼ですけど、
あえてわかりやすく表現してみました。

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何をするにも目的がある。

思うように上手くいかないとき、
動きが止まってしまったときには、
目的を洗い出す。

「何のために?」と問いかける。

セッションでも自分自身にも
こんなふうにアプローチをしています。

だけど、これは時と場合によるのです。
全部が全部これにあてはまるわけではない。

経験を重ねていくうちに
わかってきたことでした。

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「生きる目的がわからないんです」

「生きる目的がずれているから
上手くいかないんですよね?」

「考えても考えてもわからなくて。
どうしていいかわからないんです」

しんどそうな表情で言われるこの言葉を
これまで何度聞いてきたかわかりません。

生きる目的を見つけるために
頭を使って考え続け、そのたびに、

「これでいいのだろうか?
これで合っているのだろうか?」

正しいか正しくないかの
ジャッジの世界に入り込みます。

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頭で答えを出そうとしても
心はどうでしょうか?

心の中では「1+1=2」のように
答えが決まっているわけではありません。

答えが決まっているわけではないのに、
正しい答えを出そうとしてしんどくなる。

心は常に動いています。揺れています。
瞬間瞬間で変わっていきます。

誰かに会いたい時もあれば
1人でいたいこともあるでしょう。

ハンバーグが食べたい時もあれば、
納豆ご飯が食べたい時もあるでしょう。

正しいか正しくないかのジャッジは
必要でしょうか?

ジャッジするのではなく、
感じるままに思うままにしておく。

「生きる目的がわからない。
そうか、わからないんだな」

ただ観察して、眺めておく。

そして、ジャッジしてしまった
自分自身のことも「よし」としておきます。

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わたしたちは常に正しいか正しくないかの
世界に生きてきました。

学校ではテストがあり、
組織に入って評価され。

誰かの基準によって、
判断され続けてきました。

だからジャッジしてしまうのは
当然のことです。

そして思考は考えることが仕事です。

合っているかどうか問いかけたら、
そのことを意識しようがしまいが、
いつまでも考え続けてくれるのです。

でも、心のことなのです。
正解はわからないのです。

正解があったとしても
次の瞬間には変わるかもしれない。

一つかもしれないし複数かもしれない。
それすらもわからないかもしれません。

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「生きる目的」を見出すことが
必要な場合ももちろんあります。

でも、その前に
もっともっと大切なことがあります。

「生きる目的」も何も、たった今、
この瞬間に「生きている」ということ。

心臓は勝手に動いているし、
呼吸も自然に行っています。

心臓を止める、という目的を持ったとしても、
心臓を止めることは出来ません。

頭で考える「生きる目的」よりも、遥かに
壮大な無意識の目的がそこにあるからです。

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ついつい熱く語ってしまいました。

「生きる目的にとらわれているかもしれない」

もし、そう思うようなことがあったら、
外に出て空を見上げてみてください。

赤く色づいてきた木々とともに
大きく腕を広げて深呼吸してみてください。

自然はそのままそこにあります。
わたしたちも自然の一部、自然そのものです。

いつだって生きている。
だから今、ここにいる。

「ぼくらはみんな生きている」

頭の中が歌い始めました。

わたしも外に出て、
手のひらを太陽にかざしてみようと思います。