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知識ではなく、知恵となる。

もうすぐ母の命日です。
亡くなってから11年になります。
 
 
先日、ふと思ったことがありました。
 
 
「母が亡くなる前に
 心の勉強をしていなくてよかったのかも」
 
 
何の知識もないまま、
母の死に直面することができたからです。
  
 
当時のわたしは毎日のように仕事に追われ、
休日も体力を温存するために何もしないで、
いつも疲れているような会社員でした。
 
 
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母が亡くなる数日前、
脱ぎ着が楽にできる浴衣のようなパジャマを
デパートの介護売場で買い求めていました。
 
 
そんなわたしに一番下の妹は言いました。
 
 
「お姉ちゃん、そのパジャマ、
 お母さんは着られないと思うよ」
 
 
母の最期が近いということを、
妹はわかっていたのでしょう。
  
 
わたしはあまりに楽天的でした。
  
  
母のQOLを満たすために、
物質的なことばかり考えていました。
  
 
あるいは、そうすることによって、
死というものを避けていたのかもしれません。
 
 
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ある時、妹が言いました。
 
 
「お母さんと一緒に寝るといいよ」
 
   
ベッドに寝ている母にぴったり添い寝して、
午後の時間を過ごしたというのです。
 
 
「1時間でもいいから」
 
 
「うん」と返事をしたものの、
「狭くて寝られないよ」と思っていました。
 
 
わたしはやっぱり頭で考えていました。
そのうちに母は旅立ってしまいました。
 
 
妹は母と心の交流をしていたのかもしれない。
  
 
そのことに後から気がついて、
わたしはずいぶんと後悔しました。
 
 
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母の最期を家族全員で、母の部屋で
看取ることができたのは幸せでした。
 
 
まるで枯れ枝のように
日に日にやせ細っていく母の姿。
 
 
最期の一息まで見届けました。
 
 
人はこうやって死んでいくんだ。
 
 
母は自分の命をもって、
わたしたちに教えてくれました。
 
  
それはどこかから得た知識ではなく、
わたしたち自身の知恵となりました。
 
 
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感じたこと、
考えたこと。
 
 
自らに問いかけ、
自らが答えてきたこと。
 
 
心残りのこと。
 
   
それらはすべて、
わたしだけの知恵となっています。
 
 
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もっと早くに心の勉強をしていたら、
母は助かったかもしれない。
 
 
これまでに何度か思ったことがあります。
  
 
でも、
それ以上に多くのことを
母は教えてくれました。
 
 
そして、今、
わたしはこうして生きています。
  
 
命日には少し早いお墓参りに行った日、
空を見上げながら思いました。